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「伊良コーラ酎」やクラフトラム・ジン。焼酎文化を守るために挑戦しつづける「大山甚七商店」の哲学とは。

鹿児島県指宿市に蒸留所を構える「大山甚七商店」。代表的な銘酎である「薩摩の誉」をはじめ、1875年の創業以来、数々の銘焼酎を作り続けている歴史ある蔵元です。本格的芋焼酎にとどまらず、ストレートで飲めるようアルコール度数13度に仕上げた芋焼酎の「山大一」、クラフトジンの「JIN7」、クラフトラムの「ACOU RUM WHITE」など、近年では新たな商品の開発にも力を注いでいます。2023年1月に代表に就任された6代目蔵元(くらもと)である大山 陽平さんに、伝統を守りながらも、固定概念に捉われない挑戦をし続ける理由や、想いについてお伺いしました。

時代の潮流に乗りながら商売する、大山甚七商店のイズム

——まずは「大山甚七商店」について教えてください。

大山甚七商店は、1875年に創業し今年(2023年)で148年目を迎えました。今でこそ焼酎づくりを生業としている酒造会社ですが、もともとは呉服店としての商売がメインだったんです。会社名が「大山甚七”酒造”」ではなく”商店”である理由はそこにあります。当時から焼酎造りもおこなってはいましたが、今でいう「副業」という感じで。人びとが着物を着なくなるにつれて、酒造りに重きを置くようになっていったという歴史があります。

私自身は、6年前に東京から鹿児島に帰ってきて、6代目として蔵を継いでいます。今は、私を含めて主に5名で蒸留所を動かしていますね。規模としては小さいですが、ひとつひとつのお酒を人の手で、活発的に造っているのがうちの特徴です。

——焼酎づくりに主軸を置きながらも、ジンやラムなどのスピリッツを開発しているのも印象的です。

新しいお酒造りは、私が帰ってきてから着手し始めました。ジンやラムなどのスピリッツはまだまだ可能性があるなと感じていましたし、私自身「造ってみたい」という純粋な好奇心もありました。さらに「このまま変化をつけず現状維持で焼酎を造り続けていたらヤバいかも」という危機感もあったのが正直なところです。

うちが造っている代表的な焼酎は「薩摩の誉」という芋焼酎なんですが、現在900mlを税別1,064円で販売しています。造り手の稼働時間や、技術的な価値を考えれば、かなり安いと感じていて。うちのように少人数で回している酒造では量を造ることが難しいので、薄利多売な手法は現実的ではないんです。ブランディングして付加価値をつけて単価を上げる、という戦い方もあるとは思いますが、どうしても時間がかかってしまう。そこで、今ある蒸留技術を活かしたスピリッツの開発を、焼酎と合わせて始めました。

求めているのは、効率より個性

——大山さんが手がけたスピリッツについて教えてください。

代表的なスピリッツは、クラフトジンの「JIN7」や、クラフトラムの「ACOU RUM WHITE」ですね。

「JIN7」は、大山甚七商店の「甚七」から取って名付けています。うちで造っている芋焼酎をベーススピリッツにしているので、芋のニュアンスも残っているのが面白いところです。

さらに、特徴的なのが「芳樟(ほうしょう)」というハーブを使用している点です。ありがたいことに、うちの蔵から車で20分ほどの場所に「開聞山麓(かいもんさんろく)香料園」という日本最古のハーブ農園がありまして。日本国内では、香料園でしか栽培されていない希少なハーブで、これが味の個性を引き出してくれています。

(開聞山麓(かいもんさんろく)香料園)

「ACOU RUM WHITE」の「アコウ」は、うちの蒸留所の近くにある「アコウの木」という御神木が由来です。オーガニックの糖蜜と、鹿児島県産の黒糖を使用していて、カクテルにも合うし、ソーダで割っても美味しいですね。今後はゴールドラムやダークラムなどシリーズ化して展開していく構想もあります。

2021年の夏には、焼酎の新たなブランドとして「山大一」を発売しました。スピリッツ以外の新たな取り組みとして、ちょっと個性的な焼酎を造りたいなと考えて。目指したのは格式の高い、上品な飲食店にも馴染むような焼酎です。

焼酎のラベルって力強いイメージのものが多いので、置いているだけでもお店の世界観を邪魔してしまうこともあるんですよね。なので、「山大一」はラベルをシックにして、さらに、カジュアルに飲んでいただけるようにアルコール度数が13%と低く仕上げています。実際、「山大一」を提供してくださっている秋田の日本料理屋さんからは「使いやすいね」と声をいただいているので、ニッチかもしれないけど需要はあると感じています。

味として「玉茜」と「えい紫」の2種類を展開していて、どちらも焼酎の苦手な方にとっても飲みやすい味になっていると思います。

「玉茜」は芋自体とても甘くて、香りもトロピカル。実は、甘い芋ってデンプンが少ないので、アルコールの収得率が悪く、一般的に焼酎を造るときには避けられがちなんです。でも、収得率を気にしていたら、新しい味の可能性を狭めてしまう。だから、個性的な味が出せる芋なら、たとえ効率が悪くても積極的に使っていきたいなと思っています。

「えい紫」はとても鮮やかな紫をしているので、通常はお菓子に使われることも多い芋です。こちらも、しっかり個性のあるお酒で、熟成すると赤ワインのような香りが出てくる面白いお酒です。

あとは、クラフトコーラを自社工房で造られている「伊良コーラ」さんとコラボしてつくった「伊良コーラ酎」も人気のある商品ですね。

造り手もお客さんもワクワクするお酒づくりを

——伊良コーラ酎、実は私も飲んだことがあるのですが、すごく美味しかったです。コーラの主張もしっかりと感じられて「本当に焼酎?」って衝撃を受けました。

ありがとうございます。ラムコークやコークハイボールなど、コーラで割った「コーラ味のお酒」は世の中にたくさんありますが、「お酒自体にコーラが含まれている」って意外とないんですよね。コーラの粉末とレモン、ライムを漬け込んだ焼酎を蒸留しているんですが、造っているときは「これ、成功したら世界初なんじゃないか」って、私自身ワクワクしていました。

——本当にユニークなお酒です。アイデアを思いついたきっかけは何かあったんですか?

きっかけは伊良コーラの社長さんとの会話でした。「伊良コーラのシロップってウイスキーやラム、それこそ焼酎に入れて飲んでも美味しいんだよ」って教えてもらって。実際に飲んでみたらとても美味しくて、「コーラ焼酎」を思いつきました。伊良コーラの社長さんとは当時2回ほどしかお会いしたことなかったんですが、連絡したらとても興味を持って頂き、開発が決まりました。

300mlで税込3,850円という決して安くはない価格だと思います。それでも手に取っていただけるのは、きっと「どんな味がするんだろう」というワクワクがあるからだと思うんです。もちろん、美味しければ「また飲みたい」とか「人に勧めたい」って思ってもらえる。最初に値付けするときは、びびっていましたけどね(笑)

造り手のワクワクと、お客さんのワクワク。商売のヒントはこの「ワクワク」にあるなと考えています。「自分たちは良いものを造っている!」という自信があれば、おのずと売れていくものなんだなと。個人的には、「伊良コーラ酎」の開発がここ数年でいちばん気持ちのいい仕事でした。

業界を超えたつながりで新しいものを生み出していく

——「出る杭は打たれる」と言いますが、新しいことへのチャレンジに対して逆風はありませんか?

私の父である会長は、新作のiPhoneが発売されたら、すぐに買っちゃうような大の新しい物好きなんです。なので、会長はじめ、社内スタッフの間でも否定的な空気感は基本的にありません。

業界の方から「焼酎屋がスピリッツなんか」って思われることもあるかもしれませんけど、もしそう思っていただけるなら、ある意味ありがたいです。むしろ批判や嫉妬されるくらい、まずは目立たなければいけないなと思っていますから。

それに私自身、いろんな人に嫉妬しているんです。酒業界に限らず、多方面で活躍している方はたくさんいるので。最近はアイデアを湧かせるために、さまざまな職種の方と接する機会を大切にしています。刺激をもらいながら、一緒に新しいことに取り組んでいきたいですね。

——具体的には、どんな方とお仕事されているんですか?

たとえば、「JIN7」のラベルは、アパレル業界のデザイナーさんと組んでつくったものです。お酒の味にどれだけ自信があっても、まずは手に取ってもらうことも大事なので、ラベルにもこだわりたいという想いがありました。

通常、ラベルデザインを決めるまでの流れって、大体決まっているんです。いつもお願いしている印刷会社のデザイナーさんに発注して、3,4パターンくらい提案いただいて、その中からいちばんイメージに近いものに決める。それが悪いというわけでないのですが、ありきたりなデザインにしかならないのも事実で。

お酒のラベルデザインをやったことがない方と組むことは、私がやりたいチャレンジのひとつでもありました。そうすると、意外な共通点から新しいものが生まれたりするんですよ。先ほどお話したように、大山甚七商店がかつて呉服店だったことをご説明すると「じゃあ、服をモチーフにしてタグをつけてみよう!」という話になって、このデザインに決まりました。アパレルのデザイナーさんとでなければ、思いつかない発想だったと思います。

「ACOU RUM WHITE」も同じ理由から、お酒のラベルデザインをやったことのない方にお願いしています。AICONさんというグラフィックデザイナーで、線の太細だけでデザインが浮き上がる独特な表現方法がとてもかっこよくて。「御神木のアコウの木をイメージした女性を描いてほしい」というオーダーをしました。

御神木のアコウの木

風格ある佇まいと祀られているしめ縄をイメージし、首元にしめ縄を模した真っすぐこちらを見据える、強さが感じられる女性を描いていただきました。

「受け継いでいく」という意志によって守り抜かれてきた伝統

——蔵元に帰ってきてすぐに行動されている点もすごいなと思います。お酒の勉強はいつからされているんですか?

私が鹿児島に帰ってきたのが6年前で、それまでは新卒で入社した東京の酒の卸売業者で働いていました。2010年に入社したので、務めていた期間は約7年間ですね。そこで焼酎以外の蒸留酒をはじめ、ビールやウイスキー、ワインなどの知識が蓄積されていったように思います。帰ってきてパッとアクションできたのは、そこでの実務経験が活かされているからかなと。

ただ、勉強という意味で言うと、お酒について本格的に学び始めたのは大学時代です。東京農業大学の醸造科学科というところに進学しました。授業でお酒やヨーグルト、味噌や醤油を造ることができる、面白い学校なんです。同級生には、私と同じように家業を継ぐために勉強しに来ている子たちもたくさんいて、そういった意味でも刺激的でしたね。

——そんな学校があるんですね、面白い。そちらに入学したということは、高校卒業時には、すでに蔵元を継ぐことは決めていらっしゃったんですか?

そうですね。私が高校2,3年生のころにちょうど焼酎ブームが来たんですが、父親が本腰入れて焼酎造っているのを見て「そうか、俺って焼酎屋の息子だったんだ」と意識し始めて。

——……あれ。逆にそれまでは意識していなかったんですか?

というのも、私が小学校に入学するかしないかのタイミングだった1993年くらいに、うちは焼酎造りを一度辞めているんですよ。正しく言うと「休業」なんですが……。

たとえば、タバコっていまどこで買っても同じ値段で売っているじゃないですか。まちのタバコ屋さんで買おうが、大きなスーパーで買おうが、特別安いことってありませんよね。

焼酎も同じく、どこで買っても値段は均一だったんです。でも、あるときに、酒のディスカウントストアが生まれたことで、価格競争が始まって。安い焼酎がどんどん売れるようになったんです。そうなると、うちのような小さな規模の酒造に勝ち目はありません。さっきもお話したように、量では勝負ができませんから。そういった背景があって、当時は休業する蔵元がたくさんあったんですが、うちもそのひとつだったというわけです。

そんな状況下でも、父はあくまでも「休業」という選択をしをすることで他のビジネスで何とか繋ぎ、蔵を守り抜きました。

代わりのビジネスとして始めたのが、コンビニのフランチャイズ経営でした。結局、焼酎ブームが起こる2003年あたりまでの10年間、酒蔵は休業してコンビニ経営を続けたんです。だから、私からすると、小学生から高校卒業する直前までの家業に対するイメージって「コンビニ経営」なんですよ。逆に、蔵に対するイメージというのが良くも悪くも全然なくて。むしろ、子どものころは、使われていない蔵を見て「もったいないから自分がやろう」と思っていたくらいです。

——ここでも「大山甚七商店」らしさを感じますね。時代のニーズに合わせた商売をするという意味で。

そうですね。焼酎ブームでちゃんと復活したところまで含めて(笑) 紆余曲折ありながらも、ご先祖様からしっかり歴史が繋がってきているという実感があります。

たとえば、うちの焼酎造りに欠かせない「和甕(わがめ)」も、受け継がれてきた歴史のひとつ。1875年の創業から約150年間、和甕のなかに住み続けてきた微生物がアルコール発酵をしてくれることで、蔵の個性が引き出されています。ステンレスのタンクがダメと言う訳ではないのですが、どうしても微生物は住みつきにくいんですよね。もしも、これから日本製のかめで仕込みたいと思っても、国内にはもう甕の生産者がいないので中国から持ってくるしかない。

このような歴史や想い、技術。受け継がれてきたものがあるからこそ、「焼酎造り」は今すぐ誰にでも始められる仕事ではありません。スピリッツの開発にはこれからも力を入れていきますが、焼酎の可能性を感じているのが前提です。糖質ゼロであることは意外と知られていないし、何より日本のお酒ですから。安い値段で買えるがゆえに、家の晩酌として親しまれていることも、良いところのひとつだとは思っています。

一方で私は、うちにしかできないことを探して柔軟に挑戦していこう、というスタンスです。かつての「大山甚七商店」が、時代のニーズに沿って商売をシフトさせてきたように、固定概念に捉われず新しいことにチャレンジしていきたいと考えています。

代表取締役社長 六代目蔵元 大山陽平
1988年1月19日鹿児島県指宿市生まれ
2006年4月東京農業大学 応用生物科学部 醸造科学科入学
2010年4月都内酒類総合商社へ入社
2017年1月有限会社大山甚七商店入社
2023年1月大山甚七商店6代目蔵元として代表取締役社長に就任

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